日本独特の美学「侘び寂び」とは

日本独特の美学「侘び寂び」とは

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筆者 : GOOD LUCK TRIP

「侘び寂び(わびさび)」は、不完全なものに価値や魅力を見出す日本人独特の美意識・思想である。
今日にいたるまで、日本文化そして日本人の価値観に根付き、大きな影響を与えてきた。
この記事では、「侘び寂び」の概念・意味をなるべくわかりやすく説明し、歴史や日本に広まった背景を振り返っていく。
また、「侘び寂び」を感じられるスポットやお勧めの旅先も合わせて紹介する。
最後まで読めば、感覚的で難しい「侘び寂び」を少しは理解できるはずだ。

侘び寂びとは

「侘び寂び」とは、日本人が持つ独特の美意識や感覚を端的に表現した概念である。
具体的には、不完全なもの(劣化・欠ける)を否定的に捉えず、むしろ自然や時間の経過による様々な変化に美しさを見出し、生まれた静寂を受け入れ深く味わうという美学だ。
豪華な装飾や対象に核を置く西洋の美意識に対して、日本人は素朴や余白を重んじる性質の違いと言えばわかりやすいかもしれない。
なお「侘び寂び」は本来ひとつの言葉ではなく、「侘び」と「寂び」の異なる単語の組み合わせだが、現代では一緒にして語られることが多い。
「Wabi-sabi」という言葉が存在するように世界からも認識されており、日本文化の象徴として浸透しつつある。
ただし、その概念を正しく理解している(できる)外国人は少なく、日本人でも言語化するのが難しい感覚的な言葉だ。
以下のような文章が「侘び寂び」を使った例文に挙げられる。

  • 日本のお寺が持つ特有の雰囲気に「侘び寂び」を感じずにはいられない。
  • 伝統的な美術品から「侘び寂び」の精神が伝わる。
  • 桜の散りゆく姿に「侘び寂び」を感じた。

※明確な定義がないため、本人が「侘び寂び」を感じれば何が対象でも表現して良い

源光庵の「悟りの窓」と「迷いの窓」。侘び寂びの美を代表する1枚だ
源光庵の「悟りの窓」と「迷いの窓」。侘び寂びの美を代表する1枚だ

「侘び」とは

「侘び」は、動詞「侘ぶ」の名詞形で、もともとは「気落ち・困惑・悲観・辛い」といったネガティブな感情や心理状態を指す言葉だった。
しかし中世以降になると、不十分なあり方や欠点から美を見出し、楽しもうとする肯定的な意味に変化していく。
当時生活に苦しむ人々が、その暮らしへの嘆きから、現実を受け入れてポジティブに生きると考え方を変えたように。
これが転じて、「簡素な暮らし・閑静で落ち着いた」という、現在の「侘び」と最も近い意味に繋がる。
さらに、「侘び」の理解は「茶道(さどう)」との結び付きで加速した。
そのため、「わび茶」に代表される「茶道」には、「侘び」の精神が強く反映されている。

「侘び」の精神が強く反映されている茶道
「侘び」の精神が強く反映されている茶道

「寂び」とは

「寂び」は動詞「寂ぶ」の名詞形で、「古くなる・錆びる・朽ちる」など時間の流れによって劣化する様子を指す。
「侘び」と同様にあまり良い概念ではなかったが、平安時代(794年〜1185年)の歌人・藤原俊成(ふじわらとしなり)が、積極的に「寂び」に美を見出した。
さらに、江戸時代(1603年〜1868年)初期に詩人・松尾芭蕉(まつおばしょう)が、「寂び」を用いた芸術的な歌を読んだことで、認識が変わったと言われている。
そのため、「俳句」との関わりが強く、今では「閑寂の中に奥深さや情趣が感じられる」と解釈されることが多い。
丁寧に説明すると、劣化していくさまや古さから出る味わいを内面の本質と捉え、それが外面として現れると考える美の概念である。
「寂び」が持つ表面的な美しさに、「侘び」の精神的な心の豊かさを見出しているのだ。

侘びの認識を変えた詩人・松尾芭蕉の像
侘びの認識を変えた詩人・松尾芭蕉の像

侘び寂びの歴史

どこで「侘び寂び」が生まれ、日本文化の中でどのようにして発展・浸透していったのか、その歴史を紹介する。
「侘び寂び」の根底にあるルーツを知れば、さらに理解が深まるはずだ。

侘び寂びは道教から生まれた概念

今では日本独自の文化であり、世界から見ると不思議な感覚に思われる「侘び寂び」。
ただ概念自体は、宋王朝時代(現在の中国/960年〜1279年)の「道教」から生まれている。
「道教」における「侘び寂び」は、禁欲的そして慎ましく美を愛でる方法もしくは考えという意味を持っていた。
しかし日本に伝来すると、日本人に合うように形を変えていき、次第に日本の文化としての「侘び寂び」を確立していく。
その後、「禅」・「仏教」にも取り込まれながら、ますます進化を遂げたことで、日本(人)をイメージする言葉に浸透した。

禅や仏教を通して浸透した侘び寂び
禅や仏教を通して浸透した侘び寂び

侘び寂びの普及

奈良時代(710年〜794年)に中国から伝来した「侘び寂び」は、16世紀中盤(1550年頃)に日本に定着し始めた。
「侘び寂び」の広がりは、当時の政治と密接に関わっていた「茶道」が大きく関係している。
豪華で色鮮やかな中国陶器が好まれる時代に、茶人・村田珠光(むらたじゅこう)・千利休(せんのりきゅう)は、繊細さや素朴さの重要性を弟子に説いていた。
すると市民の価値観とも合致したこともあり、次第に「侘び」に注目が集まり、人気が広まっていく。
現在も受け継がれる素朴な茶室・茶碗は、この頃に提唱されたものである。
千利休は「侘び寂び」の象徴的な存在になり、時代のトップに君臨する織田信長(おだのぶなが)に仕えるまで出世を果たす。
また、豊臣秀吉(とよとみひでよし)は千利休に茶室「待庵(たいあん)」を作らせるなど、「茶道」を政治に利用し、自身の力を固めた。
しかし、政治にも参画するほどまでの影響力を恐れた豊臣秀吉は千利休に切腹を命じる。
「茶道」と政治の関係は離れ、「侘び寂び」は消えていくかと思われたが、逆に千利休の死が究極的な完全性の欠如を生み出す結果となる。
そして、徳川家康(とくがわいえやす)が天下統一を成し遂げると、「侘び寂び」および「茶道」は一気に普及し、日本人の生活に浸透していった。

茶道と共に広がった侘び寂び
茶道と共に広がった侘び寂び

侘び寂びを感じられる伝統工芸・金継ぎ

伝統工芸のひとつである「金継ぎ(きんつぎ)」は、陶器・食器などの破損部分(割れ・欠け・ひびなど)に漆を用いて修復を行う技法。
名称は「金継ぎ」だが、大部分は漆が使われ、金の代わりに銀が用いられた「銀継ぎ」も存在する。
安土桃山時代(1573年〜1603年)から江戸時代にかけて流行した「茶の湯」文化に伴って、今に見られる「金継ぎ」の手法が誕生したと言われている。
「茶の湯」とは、千利休が大成させた無駄をギリギリまで省く「わび茶(茶道の流派・様式)」を完成・発展させたもの。
上述したように政治に利用された「茶道」は、武家の教養であり、作法や道具への精通は権力の証であった。
また、戦の絶えない戦国武将が「茶道」に心の安らぎを求めたことなどが、「茶の湯」文化が流行した理由だと考えられる。
「金継ぎ」は、傷も器の歴史と受け入れて、新たな物語の始まりという理念で行われている。
そのため、元の状態に戻すのではなく、傷を生かして器に深みを持たせる修繕を施すのが特徴であり、欠点や破損は長所となり価値になっていく。
「侘び寂び」と通じる部分が多く、その美意識が現れた技法とも言える。

侘び寂びの美意識が表れている金継ぎ
侘び寂びの美意識が表れている金継ぎ

侘び寂びを感じられるスポット

ここからは、実際に「侘び寂び」を感じられる日本のスポットを3カ所紹介していく。
いずれも、長い年月の経過や繊細な変化による不完全さが美を際立て、受け手の想像力をかきたてる魅力がある。
言語化が難しい「侘び寂び」を最初に体感する場所としてもお勧めだ。

神社仏閣

建立当時からの姿を残す「神社仏閣」は、「侘び寂び」を感じられる代表的な場所。
ほぼ全ての建造物には、劣化や外傷、色落ちなどが見られ、完全な状態に美しさを求める人にとっては物足りないかもしれない。
しかし「侘び寂び」の精神で見ると、傷ひとつひとつが建造物の歴史の証拠になり、その長い年月に想いを巡らすと、趣が感じられるはずだ。
現在の姿から、感じる趣や解釈は人それぞれで正解はなく、様々な捉え方が生まれるのも「侘び寂び」の魅力。
難しいことは考えずにありのままに受け止めると良い。

神社仏閣の建造物を思考を通さず、自身の感受性だけで感じてみよう
神社仏閣の建造物を思考を通さず、自身の感受性だけで感じてみよう

日本庭園

日本の伝統文化である「日本庭園」も、「侘び寂び」を感じられる場所だ。
その中でも、石や砂の組み合わせだけで自然の景色を表現する、「枯山水(かれさんすい/日本庭園の様式のひとつ)」の風景は「侘び寂び」の典型。
水を使わないことで「侘び寂び」の不完全さを生み出し、時間の経過がわかるように枯れ葉や苔(こけ)むす岩を配置して、劣化や閑静な様子を演出している。
美しさ・「侘び・寂び」の精神が息づく無駄をそぎ落とした空間は、受け手に観念的な世界を示す。
静かに座って眺めながらその意味を自問自答し、自分なりの解釈を見出すと良い。
「日本庭園」の中でも、「枯山水」の代表格である「龍安寺(りょうあんじ)」、苔の美しさを楽しめる「西芳寺(さいほうじ)」が、特に「侘び寂び」を感じられるとして有名である。

枯山水の代表格・龍安寺の日本庭園
枯山水の代表格・龍安寺の日本庭園

古民家

日本の「古民家」でも「侘び寂び」を感じられる。
一般的に大正時代(1912年〜1926年)以前、日本の伝統建築で建てられた建物を指す「古民家」には、自然と調和した面影が残る。
ヒノキ・スギ・ケヤキなど古来の素材が適材適所に使われており、木の香りや木目の色合い、畳の香り、和紙を取り抜ける光の輝きなど、日本人の美学が詰まった至極の空間だ。
さらに、200年〜300年かけた使用感や色みの変化が、味わい深さを演出する。
「古民家」の種類も建築様式・使用目的によって様々なため、それぞれに異なる「侘び寂び」の良さがあるのも魅力。
「古民家」を利用した宿泊施設や立ち並ぶ観光地に行けば、内装の見学や実際に暮らしの体験ができる。
中へ足を入れると外からは見えない風景が、目の前に広がるのでお勧め。
特に、岐阜県にある「白川郷」・「飛騨(ひだ)の里」、千葉県香取市の「佐原」、兵庫県の「丹羽篠山市」などは、「古民家」が立ち並ぶ街並みで有名だ。
その他にも、全国各地に「古民家」を利用した施設や「古民家」が立ち並ぶ街が点在している。

各地に残る古民家を見学して侘び寂びを感じてみよう
各地に残る古民家を見学して侘び寂びを感じてみよう

侘び寂びを体感できるスポットが多い京都・奈良

「侘び寂び」を感じられるスポットが多い観光地と言えば、京都府と奈良県である。
この2つは隣接しているため、京都と奈良を巡って「侘び寂び」を体感する旅行も可能だ。
それぞれがお勧めの理由を説明していく。

街並みにも侘び寂びを感じられる「京都」

日本屈指の観光地として知られる古都・京都は、世界遺産や特別名勝に指定された由緒ある建造物が多い。
上記で紹介した「竜安寺」のほか、「金閣寺」・「清水寺」・「伏見稲荷神社」など有名な「神社仏閣」・「日本庭園」が近接しており、いたるところから日本らしさを感じられる。
また、伎芸「舞妓(まいこ)」や木造建築「京町家」ら、有形・無形の伝統を受け継ぐ街全体からは静かで厳かな「侘び寂び」の雰囲気が漂う。
情緒溢れる京都の街並みをゆっくり散策すれば、節々から「侘び寂び」を感じ、普段とは違う経験ができるはずだ。

観光スポットだけでなく、街並みからも侘び寂びを感じられる京都
観光スポットだけでなく、街並みからも侘び寂びを感じられる京都

自然と歴史的建造物の調和から侘び寂びを感じられる「奈良」

奈良は、「東大寺」の大仏をはじめとした歴史文化に豊かな自然が溶け込んだ魅力を持つ。
1998年には、「興福寺」・「春日大社」ら8つの資産で構成された「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録されている。
歴史的に価値の高い建造物と趣のある景観の調和した奈良の街並みは、奥深く美しい。
四季折々に変化する花木々が、咲き誇り枯れる再生のプロセスが映し出す光景は、日本人の美意識と通じる。
また「奈良公園」には、1,300年前から生息する天然記念物の野生の鹿が人と共存している。
奈良でしか見られない景色も多く、「侘び寂び」を感じるのにもピッタリだ。

趣のある景観と歴史的建造物の調和が魅力の奈良
趣のある景観と歴史的建造物の調和が魅力の奈良

侘び寂びに関するよくある質問

Q

侘び寂びとは何ですか?

A

不完全なもの、自然や時間の経過による様々な変化に美しさを見出す、日本人ならではの美意識・思想です。

Q

侘び寂びはどんな場所で感じられる?

A

神社仏閣・日本庭園・古民家は、侘び寂びを感じる人が多い場所です。

まとめ

言語化しづらく理解もしづらい「侘び寂び」について、具体的に説明してきたが、いかがだっただろうか。
より深く「侘び寂び」を理解したいなら、京都や奈良の神社やお寺、日本庭園、古民家へ実際に足を運んでみてほしい。
そうすれば「侘び寂び」を肌で感じ、日本人独特の美意識への理解も深まるだろう。